九州ツアー日記出口

ツアーを終えて
九州ツアーの延長であるツアーは、クラブ活動というより
個人行動という意味合いが深いです。今回のツアー班長は私です。よって
成功の鍵は私にかかっているといえますね。


3月19日 熊本→阿蘇
天気はよくない日だった。というかこの日はけっこう冷え込んだと思う。
朝から冷たい雨がゴアにしみてたまらなかった。この状態こそシミテックスというのだろうなぁ...
途中であまやどりしたところにうっとしいオッサンがいて追い返されたときはムカついた。
あまりにも寒さに指先の感覚が麻痺し..ろくに動けなかった...と文句ばかりだがそれだけではない!!
通行する予定だったところに飛行場があり回り道をしなければならなかったり...
それから走行中にフロントキャリアのネジが飛ぶというアクシデントも!!
&Y氏がスリップ転倒で空気入れ一式ふっとぶ!唯一元気なのは酒井氏であった。
酒井氏はこの後恐ろしい坂を登ることになるのだが、それでも対して怯まなかった精神力には恐れ入った。
 途中で立ち寄ったホームセンターは実にいいものが手に入った。
缶詰など100円で売ってたし、米などもやすかったので、今後の食事のほとんどを買い溜めることになった。
さてメインのミルクロードだーとはりきってました。...んが!!!!?
ひさしぶりに蔵王山エコーラインを思い出してしまった....
それほどこのミルクロードという道はエラかった..ゆったりとした登りが淡々とつづくイヤーな山であった。
あまりにもひどいので、途中からフリーランを実施した。ちなみにこのフリーランはおそらく
ツアー中最強のフリーランだといえる。その理由は風。それはまだふもとあたりではましであったのだが
高くなるたびに木がなくなる分、暴風のような風がふきあれていた..しかもその風が寒い寒い!!
おそらく推定では5℃くらいだと思う。すでに手がかちこんでいましたから。
その恐ろしいフリーランは1時間〜2時間と思われているが、細かいことはわかっていない...
ミルクロード(牛乳の道)。豊かな牧場風景が広がる幻想的な道。と解釈できるが、それはあくまでも夏の話。
冬は地獄山のような風景だったことはたしか...酒井氏は黄金の道と枯れた草をたとえてそう言った。
本当に酒井氏のこのときの精神力にはおそれいった。
酒井氏がいなければ精神的ダメージを深くおっていただろう。
 さてフリーランが終了したのは、6時であった。さすがに全員つかれていてこれ以上はしるのは無理である。
よって前代未聞。展望所での夜越えを実施することになった。これは半端な精神力では不可能です。
なぜならば夜の気温は氷点下を記録し、吹雪がふきあれる夜中だったからだ。
ちなみにこのとき寝た場所は過去最凶だった。建物のそばにテントを張っているとはいえその恐ろしい暴風で
何度もテントが浮き、その吹雪と露により足元は冷たく5枚着に加えて、寝袋でねたのはすごい。さらに
それでも汗がでなかったところをみるとその夜がどれほど寒かったのか想像はできるであろう。
ちなみに晩飯はどうしたの?。これはまた恐ろしかった。水は酒井氏がもっていたペットボトルの水ののこりを
使用し、レトルトカレーをあたためる水は近くに積もっていた雪をとかしてそれを沸騰させた湯であたためた。
このアイデアは即興で考えたわりにはいいアイデアだなぁと思いました。
飲み物については展望所に自販機があったのでせめてもの救いだった。
この日に思ったことは..明日は登りはないだろう。また今日ほどしんどくはないだろう....と
.....が...その考えはみごとに打ち崩される。
つくづく山は恐ろしいと今後のツアーで身に染みることに。


3月20日 阿蘇→湯布院
いろいろあったがなんとか晩を越すことに成功した。
天気はこの日もそんなによいイメージはなくまたしても雨がふりそうであった。
あいかわらず寒い....これは高山のためなのかそれとも気象が影響しているのかそのときは
知るよしもなかったのですが。あとから聞いた話によればこの日はもろ冬型の気圧配置だったようだ。
ややうすい霧がたちこめていて遠くの山々の景色がよく見えなかった。それ以前に今いる場所が
雲よりも上なので見晴らしがよいとはとてもじゃないがいいがたい。
途中、大鑑峰というところで阿蘇の景色を拝んだのだが、それもいまいち雲でかくれて、
奇麗には見えなかった。しかしながら雲が幻想的な景色をかもしだしていて
まるで登山しているときのような状態だった。(というか登山なのだが)
そこにはいつふった雪なのかわからないが、それが融けずにのこっていたのはすごい。
その展望所はパーキングエリアのようでもあったので、昼飯もかねてそこにとどまることにした。
ちなみにこの日は朝飯は食べていない。というのも材料の水がないため、まったくご飯がたけないのだ。
さらにそのまわりにはそれらしい店もなかったし。つまり昼まで何も食べずに走ったということです。
だからそこでの昼飯は、朝ご飯もかねて、いっしょに食べたことになりますね(^^;
だからそのパーキングエリアは大変役に立った。でも強いていえば登っているときにあれば
よかったのになぁと思う。
さて昼過ぎに大観峰をでて牧戸峠通過およびいけるなら湯布院までを目標として出発した。
....が予想外に困難であったことは確かである。その原因としては雨でしょう。
この時期の雨は春とはいえまださむかったので大変こたえました。
しかも多少ではありますが、アップダウンがありこれもけっこう影響したと思います。
牧戸峠に登る前に一度だけログハウスのあるパーキングがあったのでここで休憩することにした。
おそらくこのときの時刻は1時くらいだったと思う。
 これはかなり予定どうりだと思った...のだが、予想以上に苦戦したのが先ほど申した
牧戸峠であるのだ。実はこの峠は霧などがあって登らなかったのだが、その避けた道もえらく
しんどい道であった。途中まで行くとくだりがあって、やっと下りだ。とよろこんでいるのも
つかの間、またすごい登りがまちうけているのだ。しかも霧でなにも見えなくなっている...
同行者の方々も近くにいるはずなのだがそのあまりにも濃い霧の中なにも見えなかった。
その登りは結局、1時間ほどあった.....
しかしながら下りもまた問題なのだ。先ほどの霧がまだはれていないので、この濃い霧の中を
走らなければならなかった。はっきりいって5mくらい先がみえないので、
そこを時速40Kくらいで走るのはコクだったことは言うまでもないだろう。
そしてやっと下ったところにある一軒家があったのでそこで雨宿りすることにした。
しばらく休んでいると、その一軒家の店員が「よかったら中にどうぞ」と親切に
店内に案内してくれたのはけっこううれしかった。
そのときの状況はゴアがすでにヌレテックス状態になっており汗の臭いとまじってイヤな臭いが
立ちこもっていた。とにかく私たちはそのぬれた服などをストーブで乾かす作業をしていた(^^;
 しばらく休憩していると、急になにかほしくなったので「あげもち250円」を買うことにした。
そこの店員は非常に親切で、牛乳をセットでくれた。これはうれしかったですね。
そしてしばらくその一軒家で休憩したのちふたたび山並みハイウェイにむけてはしっていった。
 ....時すでに5時....少し休憩しすぎたのか、これは当初予定の湯布院にいけるか
むずかしかった。九重あたりで休憩しようかと思ったが、同行の酒井氏が是非行きましょうとのことなので、
多少無理があるようだったが湯布院にむかうことにしました。ちなみにこの湯布院にむかうまでの
道のりは「北海道の日高〜札幌間(別ページ参照)」より上回るしんどさだった。
というのも上り下りがはげしくそのため体力もうしなわれてしまったのかもしれない。
夕日が目にあたり目がかすんで気絶一歩手前状態になってたかも(そんなことはないか(^^;)
とにかく湯布院についたのは午後の7時。それまでろくに休憩もなくノンストップだというから
自分たちの体力を少しばかり疑った。はっきりいってこれはすごいなぁと思いました。
....そして夜は?といいますとね。まずは湯布院温泉で体力回復をはかりながら、
夜は公園にてテントを張って寝るにいたりました。
これで別府まで目と鼻の先だな。とこの時思っていました.....


3月21日 湯布院→佐賀関
観光デーとして、以前からこの日を楽しみにしてました。
湯布院をでて別府までくだりばっかしだと思っていましたが、全然あまかった。鬼のようなのぼり坂がまちうけていたのである。
しかも周りに木がないのでとおくの坂も見える...コレがつらい。ただでさえ前の2日間がしんどかっただけに...
精神的にまいっちゃいました。しかしながら由布岳は雲がうっすらとかかっていて絶景であった。
そこは別府と湯布院の間にある狭霧台というところだがそこから見る湯布院の景色は最高であった。
北海道に匹敵する景色といっても過言ではないだろう。そこをぬけてからやっと下りになった。
しかしだからといって安心はできなかった..その理由はあられがふってきたのだ!!しかも大量に!!
それが目にはいったりしてイタイイタイ!さらに下りなのでそれはもう最悪だった。
しかもその道はぐねぐねとまがっていってさらに急な坂なのですでに自転車は60キロぐらいに
なっていただろう。大変危険な下りだったのはたしかである。
まあこの文章を読んでいただいた方にはその道がどれをさしているか言っておきましょう。
県道11号線「日田往道」です。地図をみればかなりの下り坂と思えるでしょう。
しばらくくだっているとやっと町の景色が見えてきた。
別府はさすが温泉の町といってもいいほどけむりがあちこちからたっていた。
観光の一環として別府の地獄めぐりをするために北上した。
最初についたのは坊主地獄だったが、当初、どんなもんか想像できなかったため
中に入るのをやめた。後から写真をみたのだが見たかったなぁと少し後悔してます。
最初に見学したのは海地獄だった。温泉卵を売っていたので買って食べました。
味はなかなかよかった。半熟が好きなのでこのゆでぐあいはオーケー。
Y氏がカラをむくのを苦戦していた......
海地獄の感想だがどうやら銅成分が入っているようだ。
澄んだ青い色をしている。どちらかといえば緑っぽい感じがしました。
実は地獄めぐりは以前行ったことがあるのでそんなに感動はおぼえなかったのですが...
海地獄のところに世界一のハスを紹介している部分があった。
見てみればたしかに大きく。だいたい葉の大きさは2mくらいあったと思う。
たぶんサブとしてあったのだと思いますが、サブとはいえないくらい楽しませてもらいました。
山地獄はただたんに動物園なので回避...(問題発言)
先に言っておきますが私たちが見た地獄は結局3つだけでした。
全部の地獄が見れる割引券なるものがあったようですが、すでに坊主地獄を回避し
下ってしまったので、さすがに上る気力はなく、あとは白池地獄と血の池地獄を見る
だけになりました。
白池はその名のとおり真っ白な池でした。それだけ〜といわれればそれだけとしか言いようがないのですが...
そういえば白池にもサブがありました。しかも何故か水族館で、世界一のピラニアかなんだか知らないが
こわそうな魚が一匹飼われていた。その他に熱帯魚が数匹。
 血の池はまさしくそのとおりでして、真っ赤な池でした。その成分は鉄分でそれが原因で
真っ赤に見えているらしい。またその鉄は肌によいらしいので、その鉄分をつかったローションが
販売されていた(定価1000円)。そのときは予算がなかったため買わなかった。
地獄めぐりがおわってからはけっこういい時間になっていた。
私はそのとき大分の親戚の家におじゃますることになっていたので他の2人とは
ここでわかれることになった(別府の関西汽船フェリーターミナル)。
いろいろと作業をして別府を出発したのは午後の5時くらいだと思う。
ちなみに親戚の家は佐賀関といい、大分のはしの方である。これは日が暮れるなと思いながら
いそいで走りました....
大分市...午後6時..すでに日がおちそうな状態...
県道22号線をえて197号線に入るころにはすでに日はおちていた...
坂ノ市で駅寝を考えていたが、ここまできたんだからもう行ってしまおうと思い
その重い足を動かしながら自転車をこいでいた。
とくに197号線は真っ暗でうっすらと見える街頭と自動車のあかりをたよりにして
走るしかなかった。今思うとその道は大変あぶなかったと思う。隣りは海でなにも見えないし
どこにガードレールがあるのかもまったくといっていいほどわからなかった。
まさしく感だけで自転車をこぐといた状態....
到着時刻は8時。暗闇の運転なのでこんなものでしょう。


3月22日 外伝(早吸日女神社、関崎灯台)
快晴だった。この日は天気がいいので早吸日女神社および
関崎灯台を見に行った。神社には人はなく白い猫が3匹いた。
黒い猫ならあまりいい気はしないが白い猫ならどうなんでしょうか?
この神社を修復するにあたって私の祖父が援護金を寄付したらしい。
それは神社の寄付者名簿にて書いてあった。
次は灯台だが天気もよいので自転車でなく歩いて行った。しかしながら案外遠かった...
結局2時間くらいかかってしまった。
しかも最悪なことにその灯台にはカギがかかっていて登ることがえきなかったのだ。
でも景色がよかったのでよしとするしかない...
(おわり)→次回は北海道ツアー2予定(まだまだ先っす)
もどる